マイムの学び直し② 2024,9,12「言葉の表すもの」
□「身体が頭から一本の糸で吊られているような状態」で。
以前から、自分で稽古するときにも人に伝えるときにも当たり前のように使っていた言葉。この頭からの位置が間違っていた。「つむじから」と言われて、はたっと自分のつむじはどこだろう。と思ったら、自分が思っているより、ずいぶん後ろの方にあった。そこから吊られている。あとは力が抜けている。そう考えたら、途端に身体の全体のあり方がが変わった。目線もかわる。今まで信じていた自分が変わる。子どものような姿勢で人と向き合っている自分の日常も知る。呼吸も変わる。自分の軸をとって人と向きあえたらいいな。と思う。首を使って上を向いたり、下を向いたり、萎縮させたり、大きく見せようとしたり、身体は無意識で色々している。ちょっと意識してあげたら楽に人の前に立てそうだ。
前回は「身体の癖」、「言葉の意味の捉え違い」。によって起こっている思い違いを一つ、また一つと意識していく貴重な時間。
□感覚を大事に。「壁」のこと。壁。パントマイムでは、おなじみなのかもしれない。壁を固定する。ためにどうする。というテクニックがある。でも、今日のレッスンでは、感覚の方を大事に。と。壁を想像して、すべらせている感覚の方を先に意識して、その感覚を起こさないように動くということをやった。それで壁は見えてくる。その言葉を残したまま日常に還る。日常の中にも、いろんな素材があるのを改めて感じていく。私にとってのパントマイムを学ぶこと、見ること、作品を作っていくことの魅力の一つはこの自分の感性を開かれていく感覚がとても好きだ。ということだ。師匠のレッスンが、以前に比べてテクニックより、感覚を起点にするという方向に変化しているのがなんだか嬉しかった。私もワークショップでマイムを教える機会があるし、今後、きちんと教えてみたいという気持ちを持っているけれど、常にどう教えたら、その人の世界が広がっていくか。どうしたら、本当に見える(感覚にダイレクトに訴える)パントマイムになっていくのか、常に考えて変化していくそんな師匠の姿勢を忘れないようにしたいな。と思う。最初にどんな教え方に出会うか。は、とても大事だと思う。 そして、なんのためにパントマイムを学ぶのか。体験するのか。という目的もとても大事だと思う。ちょっと頭がいっぱいになってきたので、ここで終わります。
2024・9・12 am5時33分 自宅
マイムの学び直し①2024.9-4「身体の癖」
身体の分解のレッスンの中で自分の「身体の癖」にびっくりした。
パントマイムの基礎訓練に「分解」。
頭、首、胸、お腹、腰と一つずつ分解して動かしていくとき、身体の側面や筋肉で引っ張って動かしていた。
子どもの頃から始まって、たくさんのことを一生懸命やった。
プールだったり、柔道だったり、剣道だったり、20代には、マット運動や倒立。
筋トレ。ジャグリング、バランス。その時に身に着けた癖、身体の動かし方が、
あれこれ邪魔をする感じがある。その動きが無意識に出てくるのだけど、
そもそも、その動かし方そのものが間違っている感じがあった。筋肉で無理やり動かしている。
無意識でやっている動きを意識的にしてみる。身体を構造通りに使う。
それだけでずいぶん楽になるのではなるのかもしれない。
秋の虫の鳴く声を聞きながら。2024年9月9日、am 5時45分。自宅。