1からの続きです。
幻の蝶を観劇して、他にも今までとは違った角度で観たものがありました。---
その表現がなにを表してるかわからないものがありました。このことはちゃんと見れた証拠なのだと思うのです。この時間の流れをこんな風に表現されるのだなー、こんなとき人はこんな表情をするのだろうか。こんな表情は現実には見たことないという風に見たシーンもありました。きっと私は現実で見えてるものが少ないのです。もっと意識的に生きたいなー。と思わされます。
お金を払って、芸術を鑑賞するというのは、人それぞれ意味があると思いますが、自分の日常をかえていくための糧にしたいと今の私は思っているのだなとこの文章をかきながら思いました。
今回の舞台以前見たときとタイトル紹介のかたが変わりました。
舞台を見ながら、以前の演者、あがりえひろむさんのことばかり思いました。
あがりえさん、やっぱりすごかった。
前の作品の余韻をほどよく消し、タイトルを紹介する演者の印象が全く作品に残らないというのはひどく難しい役回りです。
幻の蝶、お手伝いをさせていただいた頃から何度も観させていただいてきましたが、毎回見るたびに、印象的だったと感じるシーンは違います。
今回は先生の幻の蝶をしっかりつかんで離さない指と後ろ姿が心に残りました。その日まで、追い求め続けて生きていくという決意を舞台の表現として見せていただいた。ひどく強く凜として、背筋を伸ばされる。自分の生き方がそれでよいのかと問われるそんな感じかたをしました。清水きよし先生のパントマイム「幻の蝶」、やはり、みんなに観ていただきたいです。
それから、どんな表現になるかわかりませんし、子どもたちのことがあるので、すぐには難しいけれど、先生から学んだことを生かして、舞台を創る志を忘れたくないと、胸のどこかが熱くなりました。
ここまで長文、読んでくれた方、ありがとうございました。
子育て中、いつも、子どもが観たいもの、子どもに観せたいものを優先させてしまうけれど、
自分のためにお金を使って芸術にふれるも大事なのだなと思いました。行かせてくれた家族に心から感謝です。