先日、久しぶりに清水きよし先生のパントマイム「幻の蝶」を観劇しました。幻の蝶は、清水きよし先生が40年間上演され続けてきた舞台です。私にとっては、サーカスを離れる時に出会い、おしりを押してくれた作品です。子育てを通してか、ワークショップのためにマイムに向き合う時間がもったからか、見えるもの、感じるものが増えました。今回の私と比べたら、正直、今までは何も見えていなかったと言えるくらいです。先日、マイムの研究会のようなワークショップでお聞きした、「マイムは、五感の記憶を通して観るもの、演じるものである。」を、意識して舞台鑑賞に向かったから、余計に感じたのかもしれません。
「ある秋の日の思い出」という作品のなかで、子どもをお母さんが平手打ちするシーンがあります。(母親なのか、父親なのか、マイムではわからないのです。その姿は演じられていないからでも、私にとっては母親なのです。子どもの甘えかた、そして、平手打ち。もし、秋の日の思い出のような状況が来たとき、子どもがあのような甘えかたをするのは私にたいしてで、平手打ちするのは私です。でもね。いろんな家族の形があって、それに基づいて観るのだから、ある人にとっては、父親でも、他の人として観てもいいのがマイムなのだと思うのです。)
話がそれましたが、この平手打ちのピシャッっという音が聞こえたのです。
マイムって、音も言葉もないのになぜ、音が聞こえるのか不思議です。
「タバコ」という作品では、作品のなかでのタバコの苦い味と、男の苦い思い出とかぶさって、そこに私の苦い思い出もかぶさって、ひどく苦い味がしました。
私は臭覚の記憶は弱いので、もっと意識的に匂いを感じて過ごせたら、匂いも感じられるのではないか。と思いました。
続く