次男を生んでから、初めて夜に舞台を見に行きました。
パントマイムの清水きよし先生のKAMEN。
自分のために書きしるしてみることにします。
あらためて、KAMENの舞台をみて、
ひどく複雑な舞台だな。と感じました。演者としての清水先生が面をつけて演ずる
演者としての道化とハンサムな青年がいて、その道化がさらにマリオネットやサーカスの道化を演じる。という風に構成されているように見えた。
同じ道化の面でありながら、作品によってキャラクターが違う。
マリオネットはシャイでおっちょこちょいなかわいいやつ。サーカスの道化はもっとお調子者。
前、見たときはそんな風に感じずもっと単純にストーリーだけを楽しんでみていたのですが、
今回はそう感じました。
それぞれの作品、色々考えることがありましたが、
今回、私にはどの作品も、面が笑っているように見えたのです。
糸が切れたマリオネットも。花にがんじがらめにされた男すらも。
そのなかで駝鳥のラストの表情だけが、身体表情とあわせて、
なんとも言葉にいい表しきれぬ絶望と諦めを表現していました。
自由だった自分に気がつく前は駝鳥もそこそこ笑っていたのに。
他の作品の面が笑っているように見えた分、
駝鳥のそのあきらめた表情が舞台全体を通して心に残りました。
あの駝鳥は、私に「大丈夫、お前はまだ自由だ。」と言っていた。と、
帰りの道で思いました。
久方ぶりの夜の一人道。吉祥寺のMIMEスタジオの帰り、ここを清水先生とよく一緒に歩いたな。と、思い出にひたりながら、そんな風に今日みた舞台を反芻しました。
幻の蝶が優しくて包み込むような舞台なのと裏腹、仮面は鋭いナイフのようにとんがった舞台。
でもねー
最後の背中が痒いで、のみが客席に投げこまれたとき、「そんな難しい顔しないで楽しみなさいやーぼく遊んでるんだからと」腕組ながらみてる私に言われた気持ちになりました。
思わず、投げこまれたのみを避けた。それが演技であることを知っているのに。
そう感じたときに、清水きよし先生というパントマイミストは底知れず恐ろしい(この言葉はちょっと違うんだけど、でもこの言葉が一番ぴったりくる。)という言葉が浮かびました。
このような舞台を自分で作って、何十年もやりつづける。
制約を作りながら、そのなかで作品を育て続ける。ペロッと舌を出して、これは僕の遊び。楽しくて仕方がないみたいな風に感じさせてしまう。私には到底できそうにないし、計り知れない。
自分が理解出来ないものを凄いじゃなくて、恐いて感じてしまったのは、なんだろう。
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つらつらとかいて来たけれど、やっぱり、駝鳥。
駝鳥は私に「お前はまだ自由だ諦めるな。」と言った。